コラム

2022.4.02

vol.2 乙訓地域について

 堤じゅん太が活動している、乙訓地域。

 「乙訓」は「おとくに」と読みます。

 京都府の南西部に位置し、現在では長岡京市・向日市・大山崎町の二市一町の行政区が乙訓地域と呼ばれています。

 初めての方は、「おつくん」「おとくん」…と読めません。なぜ、このような地名が付いたのでしょう。

 飛鳥時代の昔に、京都市の西部地域を「兄国」(えくに)と呼ぶのに対して、そこから南に下った地域を「弟国」(おとくに)と呼ばれていました。

 この「弟国」に当て字を行って「乙訓」と改められました。この改正が行われたのが和銅6年(713年)とされていますので、とても歴史のある地域なのです。

 明治期には、上記の二市一町に加え、京都市の伏見区(羽束師・久我・淀)・南区(久世)・西京区(大枝・大原野)の一部も行政区域に含まれた広い地域でした。

 時代が下って、現在の行政区域では厳密に言う「京都府乙訓郡」とされるのは大山崎町のみとなっています。

 

 歴史に彩られた乙訓地域。日本の歴史の中でも度々大きな舞台として脚光を浴びることになるのですが、それはまた別の機会に。